リカちゃんハウス/無免許ピンク
小さい頃、親に連れられてデパートの催事場のフリーマーケットに何度か出店した。
床にビニールテープで区画が示されていて、そこにレジャーシートを敷いて、子供服やらオモチャやら、食器棚に眠っていたティーカップやらを並べるようなやつ。
あるとき、そこでリカちゃんハウスを売った。
男兄弟に挟まれたためか、私は女の子っぽい遊びがよく分からなかった。 嫌いというのとも恥ずかしいのともちょっと違って、なんとなくやり方が分からないというか、もっと言うと“許されてない”感じがしてた。
リカちゃんで遊んだり、カードキャプターさくらを見たり、ベティーズブルーを着たり、りぼん・ちゃおを読むことができる子たちは何らかの資格を有していて、自分はどうもそれを知らないうちに取り損ねたらしいな……という感じ。
ピンクを着ると無免許ピンクな気がしたので、いつも水色の服を着ていた。 容姿のダサさを小馬鹿にされれば子どもながらに分かったし、嫌だったけど、だからといって自分が可愛くして良いとは思えなかったし、女の子っぽくなりたいわけでもなかった。
でもお姉ちゃんがいる子は資格試験を免除されているように見え、それはちょっと羨ましかった。
それで私は完全にその「家」を持て余していた。 今考えてもけっこうデカかったと思う。デカくてピンクだった。親戚のお姉さんのおさがりでもらったものだった。
その日フリーマーケットで出品した中でも一番デカく、なんとなく目玉商品的な感じで、でもなかなか売れなくて途中で何度か値下げした記憶がある。
リカちゃんハウスを買ってくれたのは男の子だった。大人しそうな子だった。
その子のお母さんはよく喋った。
「ごめんなさいね、この子、男の子のオモチャ遊びすぎて飽きちゃって、今は女の子のオモチャを集め始めちゃって」 というようなことを、早口で話していた。
そして「ごめんね」、と、私にも言った。
男の子はそれを聞いていた。 私は黙っていた。
子どもには大人の空気がよく分かった。 何が「ごめんね」なのかは全然分からなかったが、その子の母親が何かを一生懸命言い訳していることも、自分の母が変に明るく対応しようとして上滑りしていることもよく分かった。
何か都合の悪いことが起きているらしい、と感じた。 だから黙っていた。 それを私の機嫌が悪いと捉えたのか、母は「ゆずってあげてもいい?」と尋ねた。
どう答えたのか覚えてないけど、最後までその子のお母さんが「ごめんね」と繰り返したことと、デカいピンクの「家」を抱えて歩いていくその子の後姿をよく覚えている。
そんな記憶を、どうしてか四半世紀もの間、忘れずにいた。
子どものうちはあまり深い意味のない、数ある記憶の中のひとつだったんだけど、大人になるとなんか泣けてくる。 あの時、お母さんが「ごめんね」と繰り返すのをじっと聞いてた男の子のことを、遠ざかる小さい背中を思い出すと無性に悲しい。
あの「ごめんね」に反論できなかったことが悔しい。
私が黙ってぶっきらぼうな態度を取ったせいで、「男の子に売るのは変だ」と思っているんだと思われていたとしたら、それも悔しい。
あのとき私はもしかすると、あの子と話してみたかったのかもしれない。
書き出していて、これが“ジェンダー”の原体験かもしれないな~と思った。 一瞬まみえただけのその子のセクシュアリティについて、勝手に想像して話したいわけではない。その子のお母さんが言うように、オモチャマニアだったのかもしれないし。
きっと戸惑ったり悩んだりしながら、それでも子どもの欲しがるオモチャを否定せず買い与えていたあのお母さんは立派な人だと思う。
でも、あの人は言い訳をして、「息子はちょっと変なんです、わかってます、ごめんなさい」と明るく振舞わなければいけなかった。 世間様にそれをアピールしなければいけなかった。 自分の子どもにそれを聞かせなければいけなかった。
そういうの、もうやらなくて良いようにしたい。
リカちゃんハウスを捨てる。リカちゃんハウスを買う。
ピンクを着るのに免許はいらないし、水色ばっかり着てても笑われない。
っていうか子どもの頃ずっと疑問だったんだけど、「女の子/男の子が〇〇しても良いんだよ」って何なんだ? こっちはそんなこと考えたこともなかったのに、「しても良い」なんて言われたら、本来はダメなんだって刷り込まれるじゃん。
「女の子/男の子が〇〇する」ことに違和感を覚えているのは、本当は大人だけなんじゃないの?
古い価値観の中で育った我々ができるのは、「しても良い」と許可を出すことでなく、子どもたちがそれに疑問や違和感すら持たない環境を作っていくことじゃないのかな。 そのために、自分自身が無意識に持ってしまう違和感の根源に厳しく目を向けていかなきゃな~と思った。